1995年10月25日

3レール区間

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京急には3レール区間が2ヶ所ある。その経緯は何れも戦時輸送絡みであった。

大師線:川崎大師-小島新田

小島新田駅の分岐部分

写真は小島新田駅の分岐部分。右手に赤く錆びた狭軌のレールが伸びている。
小島新田からJR貨物塩浜駅までは狭軌線のみでの接続していた。
大師線は現在の小島新田から先の区間で、 川崎市電と海岸電軌と乗り入れを行っていた。 また、戦時輸送のため海岸地域にあった 工場からの引き込み線と接続するため3レール区間が 幾つかあったようだ。大師線もそうした一つであった。 戦後の混乱期を通して市電の軌道を使用して 貨物輸送をしていたのである。 用途は工場と国鉄線間の貨車の授受であった。
 1947年3月10日、3レール区間が川崎大師まで 延長され、味の素工場専用線と接続した。1963年、 貨物輸送を専用に行う神奈川臨海鉄道が設立され、 飽和状態にあった市電軌道での貨物輸送を引き受けた。 大師線の3レール併用区間も短縮された。以降、通称 「味の素線」として呼び慣わされてきた。
 1997年3月4日の輸送を以って、この線の使用は 終わりとなった。これで、大師線の地下化が本格化すると思われる。
その後、塩浜へ向かう線路は撤去、土地は売却された。下記航空写真には線路跡に沿ってカーブした土地に住宅などが建っている様子がうかがえる。


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逗子線:金沢八景-神武寺

3-rail 文庫
 神武寺からJR横須賀線交差付近まで狭軌区間が並走する。この区間には狭軌線のみにトンネルがある。
逗子線は戦時中、単線化されていた。 撤去された片方の敷地には 金沢八景にある海軍省第一海軍技術廠支廠と 横須賀線を結ぶ狭軌線が敷設された。 戦後、技術廠の敷地の払い下げを受けたのは 東急車両車輌製造であった。 この工場への引き込み線として複線化された片方を 3レール化して車輌の搬送に使用している。
金沢八景の3線区間


 いずれも引き込み線の一部として、 京急のダイヤの合間を縫っての使用となる。 また貨物営業ではなく、路線の使用供与である。


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